【#21】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.01
「ね、シューズブランド始めない?」
2004年、姉の突拍子もない言葉に誘われて、わたしはシューズ業界へと足を踏み入れました。
インポートシューズの洗練されたデザインと美しさが大好きだった姉は、ある日自分でシューズブランドを立ち上げることを思いついたのです。日本の他のブランドにはないような、色使いや装飾の効いたシューズを作り、たくさんの人に喜んでもらいたい、という純粋な思いでした。
「楽しそう!やろうよ!」
当時わたしは大学4年生。3歳上ながら大学に行き直していた姉は、学年は一つ下。そんなわたしたちが、学園祭のようなノリで、どんなブランドにしようか、どんなシューズをつくろうかと、日々ワクワクしながら考えていました。姉の部屋に集まっては、あーではないこーではないと。そして、ブランド名はおまじないのような名前がいいねと話し、思いついたのが「Sellenatela」。閃いた音に言葉を乗せた造語です。
「セレナテラ、セレナテラ……」何度も唱えてみると、響きと語呂がまさに魔法の言葉のよう。このブランドに出会った全ての人たちにとって、"おまじない"のような存在になれれば、という願いを込めました。
ブランドを始めると言っても、何からスタートをして良いのかも、どこで靴を作れるのかも分からないわたしたちは、Yahoo! で「靴 作る 工場」と検索をし、上位に出てきた「東都製靴工業協同組合」という東京都のシューメーカーをまとめる、言わば靴業界への窓口のようなページを発見し、そこに載っている工場に電話をかけてみることにしました。今とは違ってメーカーのウェブサイトもインスタグラムもないような時代です。情報がなかったので、とりあえず片っ端から電話をしていきました。
「榎本と申します。靴のブランドを始めたいのですが、お話を聞いていただけませんか?」
無知な学生ほど強いものはありません(笑)
電話では当然、相手にしてもらえません。これでは埒が開かない!と、組合名簿に載っている工場が多かった浅草方面へと出向くことにしました。まだスマホもGoogle Mapもなかった時代。家で印刷をした地図を見ながら、靴工場を見つけては手当たり次第門を叩きました。
正直なところ、大学卒業後にアメリカ留学を決めていたわたしは、言い出しっぺの姉ほどの熱量はなく、途中からは姉が浅草に行くのを片目で見て応援する感じになっていました。
日本の大学でグラフィックデザインを学び卒業をし、2005年秋からアメリカ・サンフランシスコに留学。現地の大学院でグラフィックデザインやインダストリアルデザインを学ぶためにまずは語学学校に入りました。
その間も、姉は諦めずに浅草に通い続け、ついに一軒の工場に入り浸るようになります。そこで1年以上インターンのようにお手伝いをしながらメーカーの社長の信頼を得て、自分がデザインをした靴のサンプルを作ってもらうところまでたどり着いたのです。
わたしはサンフランシスコで大学院受験の準備に追われながら、それを横目で見ていました。姉の頑張りに驚愕し、離れていながらも自分ができることをやろうと、グラフィックデザインの経験を生かし、資料やブランドアイデンティティの制作などを担当しました。太平洋を挟んだ分業です。
2006年4月12日、大学在学中の姉がSellenatelaを運営するための法人を立ち上げました。
本当に立ち上げたんだ、、、姉の勇気のある行動に、一緒にやると言いながらもすごく驚いたのを今でも覚えています。
今年の4/12で、あれから20年が経ちます。
せっかくの機会なので、こうやって皆さまに、Sellenatelaの道のりをお話していきたいと思います。
次回、初めての一足が生まれてからのお話を。
続く。